日本の瓦の歴史は、今から1400年以上前に百済(くだら・現在の韓国南部地域)から、瓦博士(職人?)が渡来したところから始まっています。
昭和30年代に奈良の元興寺の改修をした際に、4000枚余りの瓦の中にその当時の瓦が170枚あったそうです。また、井上靖の小説、天平の甍には奈良時代の遣唐使と共に唐に渡った修行僧が、苦難の末に唐の高僧・鑑真和上を大和に招聘する物語が描かれています。
その鑑真和上が開基されたのが奈良の唐招提寺で、大伽藍のうちの金堂が平成12年から解体修理(平成の大修理)されました。棟の両端には鬼瓦にあたる鴟尾(しび)という瓦が上がっています。平成の改修で新調されましたが、それまでの鴟尾は西側が7世紀後半の創建当時のもので、東側が14世紀前半の鎌倉時代に制作されたものでした。
建物の消失に遭わなければ、千年を越えて風雪から建物を守り抜く、粘土瓦はそれほど耐久性に優れた屋根材なのです。
瓦の使命は雨漏りをさせない防水機能は当然ですが、延焼、類焼を防ぐ防火機能も重要です。江戸時代、度重なる大火に見舞われた江戸の町では、多数の建物の消失と多くの死者が出ました。そこで幕府は防火対策として、燃えやすい草ぶき(茅葺き)屋根から、武家屋敷や商家を中心に瓦葺きを奨励し、普請に際しては貸付制度(10年返済)まで設けたそうです。
その他にも外気の寒暖から屋内を防護する断熱機能、野地(瓦を葺く下地)との間に隙間があることによる通気性、雨音を抑える遮音性等、金属やスレートでは補うことが難しい機能が備わっています。
現在製造されているのは、主に三州瓦(愛知県)石州瓦(島根県)淡路瓦(兵庫県)が日本の三大産地として有名ですが、他にも日本各地に数々の生産地があります。
瓦を選ぶ際には施工する地域や建物に合わせた製品を選ぶことが重要です。例えば、温暖な地域には肌艶のキメ細かい美しい瓦が使用できます。しかし、寒冷地には高温で焼き締められた耐寒性の強い瓦でないと早い時期に傷み(凍害)が生じます。人間にも適材適所があるように瓦にも適性地域があるのです。